パナソニック電送社友会
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No.314
草軽電鉄跡を歩く

2023年12月
植木圭二
 
 かつて群馬県の草津温泉と長野県の軽井沢は「草軽電鉄」という鉄道が運行していました。 残念ながら1962年に廃線になり、線路や駅舎は撤去され、 ほとんどその跡は残っていません。それでも私は友人と廃線後60年以上経った草軽電鉄の跡を歩いてきました。
 
█ 草軽電鉄とは
  名湯の草津温泉は、現在でも電車で直接行けないのでアクセスは良いとは言えませんが、昔はもっと悪い状況でした。
 一方で別荘地として名高い軽井沢は江戸時代から中仙道の宿場として栄え、明治時代になってからは避暑地で有名になり、 1888年(明治21年)には鉄道が開通しました。
 草津温泉の有志たちは軽井沢から草津温泉まで鉄道を敷こうと自ら出資して 1915年から草軽電気鉄道を順次開業させていきました。浅間高原のわずか55.5kmを約3時間で運行していました。

【草軽電鉄の雄姿 背景は浅間山】
 この鉄道は山岳地帯を走るにも関わらず、資金が少ないので建設費用を抑えるためトンネルを掘らずに 急カーブやスイッチバックを多用しました。それゆえ急カーブを曲がるために極めて狭い線路幅762mmを採用し、 おもちゃのような電気機関車(失礼!)が引く貨車や客車のサイズも小さく、平均時速20km以下という鉄道でした。
 それでも第二次世界大戦直後は46万人を運びました。しかしその後、乗客数は徐々に減少し1962年に廃線になり、 わずか47年間でその歴史に幕を下ろしました。
 廃線にともない線路や駅舎はほぼ完全に撤去されて、別荘地やゴルフ場、雑木林になって現在に至っています。
 
█ 新軽井沢
  今はJRの軽井沢駅ですが、草軽電鉄では新軽井沢駅と呼んでいました。なぜ“新”がついたのか、それは軽井沢の歴史に関係します。
 江戸時代、軽井沢は中仙道の宿場として栄え、明治になって約1.7km南に信越線の軽井沢駅が出来きました。 そのため駅付近を新軽井沢と呼ぶようになり、宿場付近を旧軽井沢と呼ぶようになりました。従って草軽電鉄には旧軽井沢駅と新軽井沢駅がありました。

 新軽井沢駅の跡は何も残っていません。ただ現在の軽井沢駅前交番の隣に草軽電鉄の電気機関車「デキ12形」の実物が展示されています。

【草軽電鉄の電気機関車「デキ12形」の実物】
 
█ 旧軽井沢駅
  旧軽井沢駅の駅舎は、現在はレストランになっています。店の人に聞くと、「確かにこの店は草軽電鉄の駅舎でしたが、 リニューアルする時に看板など全て捨てました」と言っていました。

【旧軽井沢駅舎だったレストラン】
 
█ 三笠駅
  三笠駅も何も残っていません。現在は別荘地で人々が暮らしているので、何の痕跡も見つけられませんでした。

【三笠駅の跡らしい場所】
 
█ 小瀬温泉駅付近
  小瀬温泉駅跡に行く途中、浅間山がとても綺麗です。

【小瀬温泉駅の手前で見た浅間山】
 
 この景色から間もなく、雑木林の中に入ります。そして小瀬温泉駅跡は、盛土がされていてそこに線路が敷いてあったことが容易に想像できます。

【小瀬温泉駅跡付近の盛土された線路跡】


 
█ 柳川橋梁跡
  小瀬温泉駅を過ぎると、キャンプ場があります。良く整備されたキャンプ場で立派なアスレチック施設やBBQ会場もあります。
  キャンプ場を過ぎると、さらに木々が深くなります。廃線跡は全て道路になっている訳ではなく、道路から外れることもあります。 いやむしろ外れることの方が多いかもしれません。
  道路から横道に入り、獣道(けものみち)のような所を歩いて行くと、 その獣道が突然無くなって崖の上に出ます。前方をよく見ると橋梁跡があり、 これが草軽電鉄で一番高かった柳川橋梁の跡です。

【柳川橋梁跡】

 
█ 長日向駅跡
  長日向駅跡の場所には、何もありません。それでも草軽電鉄は単線なので所どころの駅で 上り下りの電車がすれ違うために何となく広い場所が駅の跡だと分かります。

【長日向駅跡】
█ 北軽井沢駅の駅舎
  北軽井沢駅は、駅舎や線路が残っています。説明看板もあって、木製の電気機関車のモックアップも置かれています。
 駅舎の隣には観光協会があって、草軽電鉄で実際に使われていた切符やレール、駅名の看板、 電気機関車の図面も展示されています。観光協会の人に聞くと駅舎前の電気機関車のモックアップは 実際のものよりも少し大きく作ってあるというのですが、それでもかなり小さくて遊園地の機関車のようです。 線路の幅は762mmで、JR在来線の1067mmよりも狭く、国際標準の新幹線の線路幅1435mmの半分くらいしかありません。 。

【北軽井沢駅舎と電気機関車のモックアップ】
█ 吾妻駅から小代駅
  北軽井沢からだいぶ歩いて吾妻駅跡付近を通過したのですが、駅の場所は特定できません。 遥か正面に白根山を見て高原キャベツの畑が目の前に広がる光景は嬬恋村の臭いがします。
 

【白根山とキャベツ畑】
 
█ 小熊沢の鉄橋跡
  小熊沢の鉄橋跡は台だけが残っていますが、説明看板も碑もないので、知らなければ単なる石垣にしか見えません。

【小熊沢の鉄橋跡】
█ 上州三原駅
  その鉄橋跡から少し歩くと、川幅がかなり広い吾妻川に出ます。この川を渡らないと草津温泉には行けないので、 現在の県道の橋のやや下流にわずかに痕跡があります。
 橋梁の痕跡から約100m先の群馬銀行嬬恋支店の横に上州三原駅があったという説明看板が設置してあります。

【上州三原駅跡にある看板】
 
█ 湯壺駅と厳洞沢の鉄橋
  東三原駅跡付近は2つのスイッチバックで急坂を登ったというので、かなりの急坂になっています。
  湯窪駅跡は全く痕跡が見当たりませんが、同名のバス停があります。道路がカーブしている場所に駅があったようです。
 

 
█ 草津温泉駅跡
  草津温泉に入り住宅地に浅間台公園という小さな公園があります。草軽電鉄の終点だった草津温泉駅跡があった場所で、 公園の隅には碑があります。その下には実際に使用していた線路がごくわずか10cmくらい顔をだして残っています。
  これが草軽電鉄の最終地点の線路だと、感慨深く写真を撮りました。

【草津温泉駅跡地の碑 足元の赤丸が線路】
 
 以上、草軽電鉄廃線跡を簡単に紹介してきましたが、実際には2泊3日で歩きました。 実は紹介していない場所の方が多く、その時のエピソードなども盛り込んだ旅行記を別途公開しています。 「旅のチカラ研究所」のホームページの旅行記「草軽電鉄歩き旅2023」を是非ご覧ください。
  http://tabinotikara.com/index.html

植木圭二
 
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